井の頭線の秘密 〜小田急線との連絡線~
私自身、幼少な頃はわざわざ東京駅までブルートレインのヘッドマークを撮影しに行ったりしたこともある結構鉄道好きな小僧でありました。そんな私が先日とある本屋さんで「井の頭線沿線の1世紀」と言う本を手にしました。実は世田谷の新代田駅にも9年も住んでいたこともあり、井の頭線をよく利用していたのでふと興味がそそられてでした。
それを読むと、なんと戦時中に京王井の頭線の「新代田駅」と小田急線小田原線の「世田谷代田駅」の間に線路が引かれて、その線路を使って井の頭線に車両が送られたことがあるという事実を知りました。
これについてWEBで調べると、戦争も末期の敗戦となる1945年の5月24日-25日の東京大空襲で、井の頭線の車両基地である永福町の車庫が空襲で焼け、使用できる車両がほとんど無くなってしまった。線路はそれほど焼けることは無かったが、車両が無くなってしまったため、急遽、現在の小田急線の世田谷代田駅と井の頭線の新代田駅の間に連絡線を作り、小田急線の車両を井の頭線に応援車両として送り使用したとの事です。実は、井の頭線は戦前は小田急電鉄の配下でレールゲージも一緒でこのようなことができたのです。(井の頭線が京王電鉄の前身である京王帝都電鉄の所有になったのは戦後の事)
この辺りについては、いくつかのWEB で詳細に記載されていますので ここでは割愛しますが、 私はこの連絡線跡を見つけに久々に小田急線と井の頭線に乗って新代田駅まで行きました。戦後すぐの空中撮影地図と最近の空中撮影地図を照らし合わせながら新代田から世田谷代田に向けて歩いて見ました。(下記連絡線の検証をご覧下さい)しかし、道沿いには廃線跡と思われるものは見つけられませんでした。ですが地図を重ね合わせて見ると、連絡線あったと思われる部分が道になっているように見えたり、家屋や区画が連絡線に合わせて不自然な箇所がある所や、また世田谷代田駅北口の空き地の部分が痕跡として見てとれます。
久々に小田急線に乗りましたが現在連続立体交差事業で線路は大工事しており、その影響で世田谷代田の駅も地下化されるとのことです。これで、世田谷代田駅の北口にある唯一の名残りも時代の流れととも消えてしまうのもちょっと残念ですね。
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追記:小田急線と南武線の間にも戦時中に使われた連絡線が登戸駅周辺にあり、宿河原駅方向から来た南武線が左に分岐し、向ヶ丘遊園駅へ繋がる線がこちらの国土地理院の米軍撮影空中写真に映っています。
参考サイト:
Wikipedia 京王井の頭線 http://ja.wikipedia.org/wiki/京王井の頭線
京王電鉄 あいぼりー http://www.keio.co.jp/press/ivory/26/his01.html
KYOICHI YOSHIDA The Ruins of Rail http://www.kysd.net/kdaita.html






